So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

コミュニケーション能力と習字(2017年8月号) [2017]

 習字をしていると和歌や漢詩を書く機会が多くあります。「言葉を書く」という面からすれば、その詩歌の読みや、意味内容を十分咀嚼してから書くのが筋で、自然と文学に親しむようになるものです。特に平安時代の和歌などは人の繊細な心を描写したものも多く、古人の優れた感受性や表現力の豊かさには驚かされます。テレビやスマホなどで大量な情報を収集し、また発信出来る時代です。平安の頃、身の回りの出来事ですべてが完結した頃と異なり、人は賢くなったかといえるでしょうか。古人のような周囲への観察力、洞察の深さや語彙の豊富さには、現代の知識人も舌を巻く程です。
 遠い所の映像を居ながらに見ることが出来、自分に必要と思われる情報を瞬時に手に入れることが出来るようになった一方で、身の周りへの関心や注意が薄れているのではないかとの指摘もあります。家族団欒の食事の時さえ、スマホの操作に追われていては普通の日常を送ることによって得られるコミュニケーションの経験は減少するばかりでしょう。
 ある統計によれば、社会へ出て勤め始めて早々に退職し、引きこもってしまう若者が十年前の二十倍に達しているといいます。社会に出れば、新しい様々な人、想定外の事態と向き合い、それぞれに注意を払い判断を下していかなくてはなりません。こうした社会の荒波の中で生きていく智慧は、以前なら暮らしの中で自然と経験し、年齢を重ねると共に会得してきた類のものです。
 手紙を書く機会が少なくなったとよく聞きます。メールの方が手軽でよいのでしょう。それに比べ手書きは、まるで彫刻をするような造形感覚や音楽を奏でるようなリズム感、さらに細かい手の動きなどが加わります。手で文字を丁寧に書くことは自己の表出性が高く、前者と比べ重みのあるものです。この重みを軽くしてくれる現代の便利な道具の恩恵にあずかるのもよいのですが、それに頼りきることの弊害が顕在化し始めていることも確かです。
 コミュニケーション能力とは人の心の機微について推し図る想像力と、それにいかに対応するかの表現力にあるはずです。便利さの追求が極まりつつある今、あえて不便さを享受し、少し重いものに取り組もうとする姿勢が求められていると思います。